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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)513号 判決 1977年3月28日

控訴人 森英章

右訴訟代理人弁護士 渡辺数樹

右訴訟復代理人弁護士 田中健恵

被控訴人 巣鴨信用金庫

右代表者代表理事 田村冨美夫

右訴訟代理人弁護士 兒島平

主文

1  原判決を次のとおりに変更する。

被控訴人は控訴人に対し金三五万円及びこれに対する昭和四六年一月一五日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

2  訴訟費用は第一・二審を通じ、控訴人と被控訴人の各二分の一の負担とする。

3  この判決の第一項中金員の支払を命ずる部分は仮りに執行することができる。

事実

第一  控訴代理人は「(一)原判決を取り消す。(二)被控訴人は控訴人に対し金二〇〇万円及びこれに対する昭和四六年一月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。(三)訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

第二  当事者双方の事実上の主張は、双方において次のとおり主張を補足したほかは原判決事実摘示のとおり(ただし、次のとおり訂正する。)であるからここにこれを引用する。

一  原判決事実摘示の訂正

1  原判決添付の手形目録一枚目表六行目と七行目の間に「振出日昭和四一年五月二〇日」の記載を挿入する。

2  原判決三枚目裏七行目中「昭和四八年八月二六日」とあるのを「昭和四一年八月二五日」と訂正する。

3  同四枚目裏八行目から九行目にかけて「手形割引・手形買戻しをしたもの」とあるのを「前記手形を割引き、かつこの手形の買戻しをさせたもの」と改める。

4  同六枚目表一行目中「を受けた上、」の次に「黒崎ネクタイに対し、」を加える。

二  控訴人の補足した主張

(一)1  控訴人が控訴人所有の原判決添付物件目録記載の不動産(以下これを本件不動産という。)につき被控訴人に対し元本極度額を三〇〇万円とする根抵当権(以下これを本件根抵当権という。)の設定を承諾したが、本件根抵当権により担保される債権は株式会社小松ネクタイ(以下小松ネクタイという。)と被控訴人間において行われる手形貸付並びに手形割引により生じた債権だけであって、小松ネクタイが被控訴人以外の第三者にあて振り出し又は裏書をし、被控訴人が取得した手形(いわゆる廻り手形)の手形債権までも本件根抵当権により担保されるという趣旨の合意はない。

2イ 被控訴人は本件根抵当権が小松ネクタイの被控訴人に対する一切の債務を担保するものとして設定されたと主張し、その裏付けとして乙第一号証及び乙第七号証の約定書(以下単に約定書ともいう。)の約定を指摘する。しかし、右約定書記載の約定は、小松ネクタイと被控訴人間の継続的金融取引について限度額及び期限の定めがないから主債務者である小松ネクタイに関してはともかくも、連帯保証人である控訴人に関しては右約定は信義則に反し無効といわなければならない。従って、右約定書記載の約定の存在することにより本件根抵当権が小松ネクタイの被控訴人に対する一切の債務を担保するものとし、前記1で述べたような被控訴人が取得した廻り手形による手形債権をも担保すると解すべきでない。

ロ 仮りに右約定書記載の約定が連帯保証人である控訴人に対してもその効力を及ぼすとしても、物的担保である本件根抵当権の担保範囲についてこれと同様に解すべきではない。すなわち、本件根抵当権設定契約(乙第六号証はこの契約書)は少くとも乙第七号証の約定書の作成時より後に締結されたが、乙第七号証の約定書記載の約定(乙第一号証の約定書記載の約定も内容的にはこれと同じである)によればその適用範囲は被控訴人との信用金庫取引上予想されるすべてのものを包括し、かつこれにより発生する債務の限度額、取引の存続期間の定めはいずれもないのに対し、乙第六号証の本件根抵当権設定契約書には控訴人が「小松ネクタイの振出又は裏書による手形により被控訴人から貸付及び割引を受けることにより生ずる債務につき本件根抵当権を設定する」旨及びその「元本極度額を金三〇〇万円とする」旨が明記されている。およそ、担保提供者は担保の提供に際して担保権の設定契約書記載の被担保債権の範囲、極度額、存続期間を認識したうえで担保を提供し、その旨の契約を締結するものである。従って、右約定書と本件根抵当権設定契約書の各作成の日時及びその他の右のような事情からすれば、本件根抵当権の被担保債権は小松ネクタイと被控訴人間の手形貸付及び手形割引により生じたものの範囲にとどまるものと解すべきであって、このように解することが当事者の意思に合致し、信義則から見ても妥当な意思解釈としなければならない。

3 仮りに、本件根抵当権が前記のような廻り手形による請求権をも担保するものとしても、原判決添付の手形目録記載の手形(以下本件手形という。)は被控訴人が小松ネクタイの支払停止後にその事実を知りながら取得したものであるが、かような事情のもとに被控訴人の取得した本件手形上の請求権は信義則及び現行民法第三九八条の三第二項の趣旨に準じ本件根抵当権により担保されないものと解するのが相当である。

右の事実関係は次の諸事実により裏づけることができる。すなわち、(イ)小松ネクタイは昭和四一年八月二五日手形の不渡を出したため手形交換所から取引停止処分を受けたが、黒崎ネクタイ株式会社(以下黒崎ネクタイという。)が本件手形を被控訴人の板橋支店に持ち込んで被控訴人から手形割引を受けたのは手形交換所の右取引停止処分の後の同年九月二日である。

(ロ)小松ネクタイは本件手形についてなされた右手形割引の約一年前より慢性的経営不振に陥り同会社と継続的信用金庫取引を行っていた被控訴人の駒込支店は昭和四一年八月二〇日ころには小松ネクタイ振出の単名手形の割引に応ぜず、同月三一日同会社との当座取引契約は解約された。

(ハ)黒崎ネクタイの代表取締役黒崎喜忠は本件手形を被控訴人の板橋支店に持ち込んだ際には小松ネクタイの倒産の事実を知っており、かつ板橋支店長の田村冨美夫は黒崎と懇意の間柄であって、黒崎から手形割引の依頼を受けた際同人から小松ネクタイが既に倒産の危機にあることを打ち明けられ、自分も駒込支店に対して小松ネクタイの信用状況につき照会していたのみならず、本件手形中四通の約束手形は黒崎ネクタイが富士銀行、光信用金庫等から一たん手形割引を受け、裏書譲渡していたものを同銀行、信用金庫から受戻したうえ被控訴人の板橋支店に対して手形割引を依頼した異常な手形であり、しかも黒崎は個人としても会社としてもそれまで被控訴人とは全く取引がなかったのに、板橋支店長の田村はあえてその手形割引に応じた。そしてその後黒崎と被控訴人との間には手形による取引はなされていない。

4 のみならず、本件手形のような廻り手形による手形債権も本件根抵当権により担保されるものとすれば、後順位抵当権者、根抵当権設定者らに予期しない不利益を被むらせる結果を避けるために、信義則上根抵当権者がこの廻り手形上の請求権を債務者の支払停止後に取得した場合には、その事実を知らずして取得し、かつそのことを立証し得たときにのみ担保権の行使ができるものと解すべきである。

従って、被控訴人の板橋支店長の田村は前記の諸事実からすれば、少くとも本件手形の取得当時小松ネクタイの支払停止の事実を知らなかったとなし得ない以上被控訴人は本件根抵当権を行使し得る立場になかったということができる。

(二)  右のように本件手形上の請求権は本件根抵当権により担保されない。そうして、小松ネクタイと被控訴人間の手形貸付及び手形割引契約に基づく取引は控訴人の割引依頼にかかる手形の最終支払期日である昭和四二年三月三一日をもって終了し、この時点で右取引に基づく債務の元本が確定したこととなる。被控訴人が同年四月一五日小松ネクタイに対する手形割引債権、延滞利息金、不渡手形訴訟費用金と小松ネクタイの被控訴人に対する預金債権とを対当額で相殺したから、その結果本件根抵当権によって担保される債権は金一五万八、二五六円と確定した。

(三)  従って、被控訴人は小松ネクタイの倒産の時点において右被担保債権の限度において取引を清算し、速やかに控訴人に対し本件根抵当権設定登記の抹消登記をなすべき義務があるのに、この債務を履行せず、かえって本件根抵当権を黒崎ネクタイに譲渡したことは被控訴人の債務不履行である。

仮りにこの主張が容れられないとしても、被控訴人の板橋支店長の田村が故意に黒崎ネクタイに本件根抵当権の極度額の空き枠を利用させて本件手形金の回収を容易にさせた行為は商慣習上又は信義則上担保権者である被控訴人の遵守すべき担保権の行使の範囲を逸脱したものであるから、これにより控訴人が被った損害は被控訴人において賠償すべき義務のあることは原判決事実摘示中控訴人の主張欄記載のとおりである。以上被控訴人の板橋支店長の田村が行った本件手形の割引、手形金債権、本件根抵当権の譲渡は同人の故意又は過失による不法の行為であるから被控訴人は田村の使用者として民法第七一五条により控訴人の被った損害の賠償責任をまぬがれない。

(四)  仮りに右主張が容れられないとしても、被控訴人は金銭の貸付、手形割引を主たる業務とし、これに関連して担保権の設定につきその知識、取扱等において専門的立場にある金融機関であるから、前記取引の終了の時点で前記債権一五万八、二五六円を前提として清算すべきであるのに、本件手形債権及びこれに対する延滞利息も本件根抵当権により担保されるものと判断してこれを黒崎ネクタイに譲渡した行為は少くとも被控訴人の過失による不法行為であるから被控訴人は控訴人に対し請求の趣旨記載のとおりの金員の支払義務がある。

三  被控訴人の補足した主張

(一)  本件根抵当権は小松ネクタイと被控訴人間において行われる信用金庫取引に基づく一切の債務を担保するものである。このことは、右両者間にかわされた乙第一号証、乙第七号証の各約定書に明記されている。従って、本件根抵当権の被担保債権の中には被控訴人が取得した本件手形上の請求権が含まれる。

もっとも、乙第六号証の根抵当権設定等の契約書には控訴人が提供した担保は被控訴人と小松ネクタイとの直接の手形貸付及び手形割引による債務を担保する旨の記載があり、小松ネクタイの振り出し又は裏書をした手形による第三者と被控訴人間の手形貸付及び手形割引債務を担保するかどうかについては明定されていない。しかし右約定書(乙第一・第七号証)はその内容から見て被控訴人と小松ネクタイ及び控訴人を拘束する基本契約であって、乙第六号証の根抵当権設定契約書による契約は右約定書による契約を排除するものでない。

小松ネクタイは実体は控訴人の個人会社であり、社会的、経済的には同一体で第三者が物的担保を提供したという関係ではないから、控訴人は小松ネクタイと運命をともにする関係にある。そうして、控訴人は右各約定書のいずれにも連帯保証人として署名、押印してその記載の約定を承認しているから、控訴人は自己の差入れる担保が小松ネクタイの被控訴人に対する一切の債務の担保となることを承認していた。

(二)  被控訴人の板橋支店長の田村冨美夫は黒崎からの本件手形の割引依頼により手形割引をして本件手形を取得した当時に小松ネクタイの倒産の事実についてまったく知るところがなかった。

すなわち、板橋支店は被控訴人の各支店の中でも預金量が大きく、毎月の融資件数は常時三〇〇件位、三億円ないし五億円の融資高に達し、本件手形の割引金約一六〇万円は極めて少額の融資に属する。その職員数も多く業務が分担され、自動的に処理される仕組みとなっていた。田村支店長は黒崎の融資の申込みにより昭和四一年八月二六日黒崎ネクタイに対する融資の原議を作成したが、その後は月末、月初の繁忙の時期であったため担当者が自動的に割引手続の事務を進めたから、田村は右融資の原議の作成後は黒崎ネクタイに対する融資には関与していない。又田村は同月二五日前に板橋支店の担当者を通じて被控訴人の駒込支店に対し小松ネクタイの取引状況を問いあわせたところ異状はない旨の回答を得たので、そのときもその後も更に進んで小松ネクタイの信用調査をしなかったが、これは同会社が駒込支店の得意先きであったため被控訴人の内部の取扱いとして営業政策上調査を行わなかったに過ぎない。小松ネクタイが八月二五日倒産し、これが同月二九日の不渡りニュースに掲載されたとしても、このニュースが板橋支店に到達するまでには若干の時日を要し、また支店長がこれらのニュースに一々目を通すものでもない。板橋支店が本件手形の割引に応じたのは依頼人である黒崎ネクタイの信用を重視したからにほかならない。そうして、これらの事実からすれば、支店長の田村が本件手形の手形割引に応じたことをもって過失ありとして非難することはできない。

(三)  本件手形債権は翌四二年四月被控訴人から黒崎ネクタイに譲渡されかつ本件根抵当権もこれにともない同会社に譲渡されたが、これらの譲渡行為は駒込支店若しくは板橋支店が行ったものであって、その当時被控訴人の理事長となっていた田村は無関係である。

第三  《証拠関係省略》

理由

一  当事者間に争いのない事実

1  被控訴人と小松ネクタイとの間に昭和三九年四月二三日手形貸付、手形割引等の取引契約が締結されたこと、控訴人は小松ネクタイの代表取締役であって、同日右取引契約に基づき将来発生する小松ネクタイの被控訴人に対する債務につき控訴人が連帯保証をし、かつ右債務(その範囲の点については後に判断する)を担保するため控訴人所有の本件不動産につき元本極度額を三〇〇万円とする根抵当権(本件根抵当権)の設定契約を締結し、この契約に基づき同月二四日本件不動産につき被控訴人のため東京法務局板橋出張所受付第一四〇九六号をもって根抵当権設定登記が経由されたこと、

2  小松ネクタイは黒崎ネクタイにあて本件手形中手形目録(一)ないし(四)の約束手形を振り出し、また(五)・(六)の約束手形を裏書し、これらの手形はいずれも黒崎ネクタイが所持していたこと、黒崎ネクタイは本件手形合計六通の手形割引を被控訴人に依頼し、被控訴人が昭和四一年九月二日ころ本件手形を割引き、被控訴人に対する裏書がなされたこと、黒崎ネクタイは昭和四二年四月一三日ころ本件手形六通を被控訴人から買い戻し、これにつき黒崎ネクタイに対する裏書がなされたこと、被控訴人が同日ころ黒崎ネクタイに対し、本件手形債権及びその余の小松ネクタイに対する金一五万八、二五六円の債権を、これらの債権がすべて本件根抵当権の被担保債権に含まれるものとしてこの根抵当権とともに譲渡し、この譲渡に基づき同月一四日東京法務局板橋出張所受付第一六一二五号をもってその旨の登記が経由されたこと、

3  黒崎ネクタイは被控訴人から譲り受けた右抵当権に基づき東京地方裁判所に対し本件不動産につき競売の申立をし、同裁判所が昭和四三年一二月五日競売開始決定をしたこと、控訴人は昭和四四年一一月一九日黒崎ネクタイに対し金一五万八、二五六円を弁済したうえ右裁判所に対し抵当権実行禁止の仮処分を申請し、ついで昭和四五年三月一〇日黒崎ネクタイを被告として東京地方裁判所に対し根抵当権移転付記登記抹消登記等手続請求の訴えを提起し、この訴訟は同裁判所同年(ワ)第二二四一号事件として係属したこと、この事件につき同裁判所において昭和四八年一一月二八日控訴人が黒崎ネクタイに対し同年一二月一四日までに金一〇〇万円を支払い、黒崎ネクタイは本件根抵当権設定登記の抹消登記手続をする旨の裁判上の和解が成立し、控訴人は黒崎ネクタイに対し右金員を支払い、黒崎ネクタイからの右登記の抹消登記が経由されたこと、

以上の事実は当事者間に争いがない。

二  黒崎ネクタイと被控訴人との間に右2掲記の手形割引及び手形の買戻がなされた事情について考察する。

《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。《証拠判断省略》

1  控訴人の経営する小松ネクタイは前記昭和三九年四月二三日より前の昭和三七年八月から被控訴人との間において信用金庫取引契約を締結し、被控訴人の駒込支店に取引口座を設定し、手形割引、手形貸付等により融資を受けていたが、昭和四〇年なかばころから経営状態が悪化し、翌四一年八月二五日同会社振出の約束手形につき手形の不渡りを出し、同月三〇日手形交換所の取引停止処分を受けて倒産した。右の八月二五日に不渡りとなったものは、小松ネクタイの取引銀行である富士銀行所持の四通のほかに、被控訴人の駒込支店所持の二通計約三〇万円が含まれていた。

2  黒崎喜忠の経営する黒崎ネクタイは小松ネクタイの同業者であって、かねてより小松ネクタイとの間に売買取引、資金の融通を行っており、小松ネクタイが前記八月二五日に手形の不渡りを出したときにおいて同会社に対し金一五〇万八七二〇円の債権を有していた。そうして、黒崎は同業者からの情報により小松ネクタイが右の日に手形の決済ができず手形の不渡りを出すに至ることを察知したので、同日代表者の控訴人を自宅に呼び寄せて右債務の支払責任を追及し、その結果控訴人は、小松ネクタイの右支払債務を確認しかつ控訴人が個人としてその債務の連帯保証をする旨を承諾してその旨を記載した書面を差し入れるとともに黒崎の強い要請により債務の弁済のために控訴人が取得していた手形目録(五)・(六)の約束手形を裏書のうえ黒崎に交付した。

手形目録(一)ないし(四)の約束手形は黒崎ネクタイとの右取引継続中に同会社に対し小松ネクタイが振り出し交付したものであるが、黒崎はその取得後まもなく(一)・(三)の約束手形について光信用金庫から手形割引を受け、(二)・(四)の約束手形は富士銀行から割引を受けていた。この四通の手形金は右債務確認及び連帯保証のなされた小松ネクタイの支払債務中に含まれている。

3  小松ネクタイは被控訴人との信用金庫取引に基づき融資を受けた結果手形不渡りを出した八月二五日現在で被控訴人に対し金四六五万円余の融資金債務があったが、他方駒込支店に対する定期預金、定期積立金等の一切の預金を合せて金二一七万円余の預金債権を有し、かつ右融資金債務は被控訴人から小松ネクタイが融資を受けるために割引を受けた他社振出の手形のその後の決済により順次減少して行くことが予想される状況にあった。これらの債権債務は昭和四二年四月一三日までに清算された結果、小松ネクタイの被控訴人駒込支店に対する債務としては金一五万八二五六円が残存するのみとなった。黒崎は昭和四一年八月二〇日過ぎ頃調査の結果小松ネクタイの定期預金等が被控訴人の駒込支店にあり、被控訴人の同会社に対する債権の担保のため本件根抵当権が設定されていることを知り、控訴人から前記債務確認等の書面を差入れさせたところから被控訴人を通じ被控訴人の有する右抵当権の空きわくを利用して自社の小松ネクタイに対する債権の回収を確保しようと考えて、かねてから懇意の被控訴人板橋支店長(当時)の田村冨美夫に対し、同年八月二六日右の意図を告げて本件手形六通の手形割引を申し入れ、かつ、その買戻に伴ってできることなら右抵当権を譲渡してもらいたいと懇請した。黒崎はそのころまでに本件手形中(一)ないし(四)の手形をそれぞれの割引先きから受戻してこれを所持していた。

4  田村は黒崎から右申入れを受けた際黒崎から小松ネクタイの資金状況の悪いことを告げられ、また駒込支店に対して小松ネクタイへの融資及びその預金関係等について照会してこれを確認し、黒崎に担保として割引金をそのまま板橋支店に定期預金とすることを承諾させたうえ黒崎の依頼に応ずることとした。そうして、同支店は同年九月二日本件手形の手形割引を行い、その割引金はそのまま全額を黒崎ネクタイ名義の定期預金として預った。小松ネクタイはこれよりさきの同年八月三〇日銀行取引停止処分をうけ、前記一の1において認定の被控訴人との間の取引契約による当座取引は同月三一日をもって当然に解約となった。本件手形はいずれも支払期日に支払場所で呈示されたが、支払を拒絶されたので、被控訴人は駒込支店と小松ネクタイとの間の前記債権債務清算の結果本件抵当権の空きわくがあることを確認した上で昭和四二年四月一三日本件手形を黒崎ネクタイに買い戻させ、その代金を一括して黒崎ネクタイ名義の前記定期預金と相殺し、これに伴って本件抵当権を黒崎ネクタイに譲渡した。

5  黒崎は被控訴人の板橋支店から本件手形六通の割引を受ける以前に被控訴人との間に個人としても会社(黒崎ネクタイ)としても取引はなく、被控訴人との間に手形による取引はその後も行われていない。

三  本件根抵当権の被担保債権の範囲について

成立に争いのない乙第一号証、前掲乙第七号証によれば、被控訴人と小松ネクタイ間の信用金庫取引(与信契約)に関し両者間にかわされた約定書には別紙約定書(一)及び(二)記載のような約定が記載されているほか、保証人は小松ネクタイの被控訴人に対する一切の債務について保証する趣旨の記載があることが認められる。そうして、この記載および右乙号証のその余の記載によれば、被控訴人と小松ネクタイとの間においては小松ネクタイの債務のために被控訴人に差入れられる担保は小松ネクタイと被控訴人間の直接の取引により生じた債務に限られず、被控訴人に対して負担し、又は負担することのあるべき一切の債務を担保するという趣旨の約定であるといわなければならないが、右各約定書には主債務者である小松ネクタイの代表者としての控訴人の記名押印と連帯保証人(乙第七号証については保証人)としての控訴人の記名押印があるが、担保設定者の署名又は記名押印はない。しかし他方、被控訴人と小松ネクタイとの間の信用金庫取引に関し控訴人から被控訴人に差入れられた本件根抵当権の設定契約書であることの明らかな乙第六号証の二(その成立は原審証人本多健一の証言によりこれを認めることができる。)には、冒頭に「当方の振出又は裏書による手形により貴金庫より貸付及び割引を受けるに付き……根抵当権設定の契約を致します」という旨が明記され、また極度額について「手形貸付並に手形割引元本極度額金参百萬円也」と明記され、利息の約定のほかに被担保債権に関するその余の約定の記載はなくその末尾に主債務者小松ネクタイと並んで担保提供者の欄に控訴人の署名押印があるところ、右記載によれば本件根抵当権は小松ネクタイと被控訴人との直接の手形貸付及び手形割引により生じた債務のみを担保するため設定されたものといわざるを得ない。そうして、右根抵当権設定契約書による約定がその後変更されたことを認めるべき証拠はない。

してみれば本件根抵当権の担保する債権は右設定契約書記載の範囲のものに限られ、その他小松ネクタイと被控訴人間の取引によって生じたものでないもの、殊に本件手形のようにいわゆる廻り手形による債務を担保する趣旨は含まれないといわなければならないから、被控訴人の取得した本件手形債権は本件根抵当権の担保の範囲外のものというべきである。

もっとも、当審における控訴人本人の供述中には本件手形債権は本件根抵当権の担保の範囲に入るという趣旨の供述があるが、当審における同人のその余の尋問の結果、原審における同人の本人尋問の結果に照らして、この供述は約定の趣旨の誤解によるものと認められにわかに採用することができない。原審における被控訴人代表者尋問の結果中右認定とてい触する供述部分は採用できないし、その他に右認定を妨げるに足りる証拠はない。

四  以上のとおり、本件手形金債権は本件根抵当権の被担保債権たりえないものである。しかるに被控訴人が右手形金債権も右根抵当権の被担保債権に含まれるものとして黒崎ネクタイに右債権及び根抵当権を譲渡したについては金融機関として少くも過失の責を免れえないものといわなければならないのみでなく、本件手形の割引は被控訴人の板橋支店長田村冨美夫において、小松ネクタイが倒産し手形の支払がなされないことが確定し手形は事実上無価値のものとなり、しかも小松ネクタイとの間の当座取引契約が解約された後に、これらの事情を知りながら本件根抵当権の空きわくがあるのを利用し、被控訴人には何等の利益がなく、もっぱら黒崎ネクタイの利益をはかる目的でなされたものである。

以上諸般の事情を考慮すると、被控訴人が本件手形を割引き次いでこれを本件根抵当権と共に黒崎ネクタイに譲渡し、黒崎ネクタイをして本件根抵当権の実行をなさしめたのは、不存在の権利行使に加担したものとして違法であり、且つこれについて少くとも過失があったものと認めざるをえない。もっとも本件根抵当権の被担保債権として黒崎ネクタイに譲渡されたもののうち被控訴人駒込支店の小松ネクタイに対する金一五万八二五六円の残存債権による本件根抵当権の実行はその限りにおいては適法であること云うまでもないが、これは黒崎ネクタイによる根抵当権実行の債権のうち極めてわずかな部分にすぎないから、右根抵当権の実行がこの部分について適法であることは前記の違法性を否定すべき事由となしえない。

五  損害について

1  控訴人が被控訴人に対し裁判上の和解により支払った金一〇〇万円について

前記二の2において認定のとおり控訴人は小松ネクタイの本件手形金債務について黒崎ネクタイに対し個人として連帯保証をする旨約した。したがってその内金一〇〇万円の支払は当然の義務を履行したことになるから、被控訴人に対し不法行為による損害としてその賠償を請求することはできない。

2  弁護士費用について

《証拠省略》によると、控訴人は前記一の3に記載の訴訟事件について弁護士を依頼し、その報酬として合計五〇万円を支払った事実が認められる。前記認定の諸般の事情を考慮し、控訴人は被控訴人に対しその内金三〇万円の限度で前記認定の不法行為につき相当因果関係のある損害としてその賠償を請求しうべきものと認める。

3  慰藉料について

《証拠省略》によると、控訴人は小松ネクタイの倒産の際に本件根抵当権によって担保される債務は小松ネクタイの被控訴人駒込支店との取引によるもののみで、小松ネクタイの預金と清算すれば残るものはほとんどない(前記認定のとおり最終的清算の結果残債務はわずかに一五万余円にすぎない)と思い安心していたのに、その後黒崎ネクタイから突然本件手形債務について自宅として使用している建物につき本件根抵当権の実行をうけ、精神上の苦痛をうけたことが認められる。よって被控訴人は控訴人に対し右精神上の損害についてもこれを賠償すべき義務があるところ、上記認定の諸般の状況を考慮しその金額は五万円をもって相当と認める。

六  なお控訴人は本訴の請求原因として被控訴人の債務不履行を主張するかのような言いかたをし、その債務として本件根抵当権設定登記の抹消登記義務をあげているが、被控訴人が本件抵当権を黒崎ネクタイに譲渡した当時においては控訴人の認める一五万余円の債務が残存していたのであるから、被控訴人には右根抵当権設定登記の抹消手続をする義務はいまだ生じていなかったのである。したがって控訴人の右の主張は失当である。その他控訴人は被控訴人の不法行為の態様としていろいろ主張しているが、これらはすべて被控訴人が本件根抵当権を黒崎ネクタイに譲渡し、黒崎ネクタイをしてその実行をなさしめ、そのため控訴人に損害を与えたことが控訴人に対し不法行為を構成することの事情として主張しているものと解し、上記認定のほかに控訴人の右各主張に対する個別的な判断はしない。

七  よって控訴人の本訴請求は、金三五万円及びこれに対する本件不法行為の後であることの明らかな昭和四六年一月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分について正当としてこれを認容し、その余を失当として棄却すべきであるから、原判決をそのように変更することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条九二条に、仮執行宣言について同法一九六条にしたがい、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松永信和 裁判官 間中彦次 糟谷忠男)

<以下省略>

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